無意味な期待と生きること
期待ほど虚しくて捨てたくなる感情を知らない。
期待するだけして叶わなかった時に傷つくのが嫌で、なるべく期待しないように今まで生きてきた。
でも、そうやって意識している時点できっと何かしら期待して生きているのだろう。
勝手に期待するだけしてしまい、裏切られた時が一番苦しいし悲しい。
信用も信頼も簡単にするものじゃないし、期待や希望も簡単に願うものじゃない。
何もかもが自分の思うように進むなんてそんな都合の良いことはない。
自分の努力次第ではそうなることもあるかもしれないけど、気持ちを高めて期待したってきっと苦しい思いをするだけだ。
だから、なるべく期待しないように生きる。
何事も底辺で、最低限で考えるようにする。
最低限ならば叶うだろうって、極僅かな小さな可能性だけを期待する。
もしそれだけかそれ以上ならばラッキーだったなと思う程度に。
そうすれば傷つくリスクも最小限だ。
日々なんにも期待しないように生きている分、嬉しいという感情も乏しくなる。
最低限の可能性に賭けて期待したところで叶わないことも多い。
基本的に物事を主観的に考えずに客観的に、第三者目線で自分を見つめれば良い。
約束を守ってもらえなかった時「何故その人が約束を破ったのか」なんて、そんなことは考えなくても良い。
相手にとって、自分が約束を守ってもらえるような人間じゃなかったというだけだ。
人を傷つけてしまうのは自分が弱いから。
辛い時や苦しい時に自分の気持ちを吐き出せずに溜め込んで、他の行動をとって人の気を引こうとしてしまうから。
そんなことをしたって期待や希望が叶うわけでもないし、自分も相手も傷つける。
なんとか前向きに前向きに、これからの将来を考えようとしてみることもあった。
それでも人と生きるということは難しいこと。
でも人はひとりでは生きていけない生き物。
理解できないことや許せないこと、色んな感情が人間同士交差して生きている。
意識しなくとも勝手に体は呼吸をして、心臓は脈打つ。
いつか終わりの時が来るまでそうやって生き続けている。
やりたいことがないわけではない。
ただ新しい環境に飛び込んで傷つくのが怖い。
他の人間の感情を理解しながら、自分以外の人間の世界に溶け込めるのかという不安ばかり。
心臓に刃物を押し当てても貫くことはできなかったし、高いマンションの上に行ったって飛ぶことはできなかった。
紐を結んでも首を括れなかったし、車が混雑する道路にだって飛び出すことはできなかった。
自分が死んだら悲しむ人がいるなんてことは考えていないけど、「それ」を見た人を傷つけてしまうのが怖かった。
ただ致命傷にもならないかすり傷と薬の量だけが増えた。
死ななければならないという希死念慮に支配されても死にきれない。
生きることは苦しいし、難しい。
人と生きることはもっと難しい。
でもそこに救いはあるかもしれない。
そんな期待や希望を抱いてはいけない。
感情を持たずに生きていけたらと考える。
つまらない日々かもしれないが、自分にとっては楽なことかもしれない。
毎日を生き生きと過ごしたいと思うこともあったけど、思い通りにいかなければ苦しくなるだけ。
最低限のやるべきことに追われた日常の中で、できるだけ感情を持たずに過ごしたい。
見える幸せはきっとそこだけ。
自分にとっての幸せが何かなんてわからない。
でも小さく生きていくその生活の中で、いつか死ぬまでに答えを見つけてから逝こうと思う。
期待も幸せも、どこにも保証なんてないけれど。