深夜モラトリアム

メンヘラの生き恥ひとりごとポエム

ただ、なんとなく、希望

夢や希望といったものがない。

やりたいことや目指す将来像が全くもってないのだ。

好きなことはある。
趣味もないわけではない。
でも、希望がないのだ。

人はどうやって大人になっていくのだろうか。
子供の頃に思い描いてた理想の将来とは違っていても、成長の過程で挫折や学習をして、なんとなく自己の確立や将来の道筋を考えられるのだろう。

私は挫折をしても、学ぶことがあっても、良いことがあっても、やりたいことがないのだ。
自分の幸せな将来や、理想の人生なんて全く考えることができない。
主治医には病気なのだから、仕方のないことだろうと言われた。
ただ、なんとなく、それなりに生きていく中で幸せを見つけていくしかないのだと。

物心ついた頃から自分の希死念慮と闘い続けてきた。
私の夢はずっと、きっと自由に死ぬことを許されることなのだ。
いつなら死んでも良いのか、どうやって死ぬのか、それ以外のことが考えられない。
自分の人生において考えを放棄してると言ったらそうなのかもしれない。
でも、気付いた時にはそれしか考えられない。
どうやっても、夢を思い描くことや、将来への希望なんて何も思い浮かばないのだ。

同級生の友人達が、大学を卒業して就職を控えるこの時期。私ももうすぐ22歳になる。
歳だけを重ねて、身体と年齢は大人になっても、心は、精神はずっと変わらないまま。
大人になりきれてないのだろう。

皆が大人になっていく過程で様々なことを経験して、それぞれの人生を考えて希望の進路へと向かって、進学、就職をしていく。
それなのに、私はいつまでも何も考えずに座り込んでいる。
皆と同じスタートラインにすら立っていないのだ。

ただ毎日目の前にある仕事を安請け合いして、人と会う予定を詰めて、主治医に言われた通りなんとなく過ごしている。
先生はきっとそうやっていく中で、人との出会いや経験で、いずれ希望や理想が見つかると言っていた。
でもまだ見つからなくて、焦る気持ちはあるのに行動は何も起こせていない。
何をして良いのかすらわからない。

ただ本当に、ひたすらに、辛いのだ。
ふと我に返ると、涙が出てしまう。

幼い頃から理由もなく死ぬべきだという強迫観念に囚われ続けたまま、死にたいのに死ぬことも許されず、毎日をぼーっと流れるように過ごす。

私は、自分自身も、家族も、これまで付き合ってきた男も、関わってきた周りの人間も皆嫌いだ。
それでもただひとつだけ、中高の学生時代に出会った友人達だけ。その人達だけは好きだ。
私にとっての夢や希望なのかもしれない。
今までも沢山支えられてきたし、これからもきっとそうなのかもしれない。
友人関係にだけは幸い恵まれている。
周りの友人を失いたくないし、一緒にいて恥ずかしい自分でいたくないと思う。

だからこそ、辛いのだ。
眩しくて、妬ましくて、好きで、見ているのが辛い。

私も一緒に成長したかったし、そうだったはずなのに、いつまでも止まっている。
進まないまま、成長しないまま、時間だけが経ってしまったのだ。

好きなこととやりたいこと、向いてることと向いてないこと、どれかが重なって初めて進路が見えてくるだろう。
私はその原点となるやりたいことがない。
だからずっとゼロのまま、何も始まらない。
何かを始めたくても、やりたいことがなければ、最早もう何もしたくないのだ。
ただ静かに、死ぬことを許してほしい。

現実はそういうわけにもいかないので、22歳にもなれば、定職に就いて、働いて、納税をして、最低限の生活を営んで、自立しなければならない。
私は、いつまでも自立ができない。
いつになったらできるのだろうか、したくないわけじゃないと焦る気持ちだけは日々増すのに。

いつまでもモラトリアムが終わらない。

 


私も、いつかちゃんと、生きてスタートラインに立って、皆の隣に並びたいだけなのだ。

 

 

 

っていうか、なんとなくとかそれなりとか、なんなんだよ!!!!!!

うっせえ軽率に言ってんじゃねえよ!!!!

具体的に言えや!!!!!!!!!!!!!!