深夜モラトリアム

メンヘラの生き恥ひとりごとポエム

同じ夜を繰り返す度に忘れもの

「休息」とは何だろうか。

仕事や運動などしていた事をやめて、心身を休めることである。

 

 

 

この頃今自分に必要なものやしなければならないことを考えなければ、と思ってしまう。

それは常に考えていなければならないことなのに、毎日仕事が忙しいからと眠らずに働いては遊んでを繰り返し目を背けて何もしないだけの自堕落な日々が続く。それでも向き合わないといけない日はいずれ来る。

 


私は自分と向き合うのが非常に苦手だ。

だからやりたくないことには目を背けてしまうし、難しいことからはすぐ逃げる。

それをアームカットやODなどの自傷行為でパフォーマンスとして表してみたりもしていたけれど、今はそれがお酒に変わっていた。

 


正直お酒が好きかと言われるとわからない。

多分好きな方だとは思う。

その場の盛り上がる雰囲気も人との距離感も熱量も嫌いではないのだ。

周りから飲め飲めと酒を勧められると、自分はこの場に居て良いのだという気持ちで自己肯定感も芽生えて、つい飲んでしまう。

お酒を飲むと確かにスイッチが入ったかのように自分が変わった気がして、飲まないと人と話せないと言い訳にも使うし、当然酒癖だってあまりよろしくはない。

人は酒を飲むと本性が見えると言うが、私はどんなに潰れそうでも酔っている時の自分は作り物のように思える。自分とはこうだったか、本当に伝えたいことはそれなのかと。

それこそが自分の本質のようで、

だから時折逃げたくなる。

酔わずとも話せたり落ち着いていられる人達が、周りにいてくれることもわかっているのに、酔った自分で取り繕いたいのだ。

 

 

 

飲み始めはコンビニでアルバイトをしていた高校生の頃で、連勤終わりにこっそり度数の高い酎ハイを1缶買って飲むのが至福だった。元よりなかなか寝付けない方だったがすぐ眠れたし、何より酔った時がODをしている感覚に近くて「これはODをやめられるぞ!」という気にもなった。まあ酒で薬を流し込むことを覚えた今では意味がないのだが。

勿論酒や薬や煙草が身体的も精神的にもよろしくないのはわかっている。

身体を穴や切り傷を増やさなくなった今、それが身も心も傷付けられる効率の良い自傷行為なのだとわかった上でやめれないのだ。

 


昔は昔で酷かったが、お酒を覚える前はもっとゆっくり本を読んだり、お茶を飲んだり、病んでいても心休まるような時間があったはずだった。

今ではお酒に溺れる時間が楽しいからと偽って無理して出掛けて飲み歩いて、飲むことさえも仕事にして、ただ忙しいだけの日々を作って言い訳にして逃げている。

翌日の自分に問いたい。

本当に楽しかったのかと。

何の為にかもわからずただひたすら働いて、その分お金を浪費して、もう体力の限界といって、もう疲れたのかもしれない。

 

 

 

傍から見ても、私が努力もせず自堕落にただ逃げているのわかっている。

いつかは希死念慮に抗わずに死ぬのだから、何の為に頑張らなければいけないのだと諦めたように言い訳をしている。

どうせ長生きするくせに。

 


でもそんな私でも疲れたら、行き詰まったら休息が必要なのかもしれないとふと思った。

昔には戻れないし、どうやったって現状は自分が積み上げてきただけの結果に過ぎないのだ。じゃあいっそ諦めて明るく開き直ってしまおう。

 


今日の私はお休み。

仕事も休み、お酒もお休み、大食いもお休み、お喋りもお休み。

昔のようにゆっくりハーブティーでも飲みながら一服したり、本でも読んだり、こうやって物思いに耽って文を書いたり、部屋を掃除してみたり、まったりするのだ。

どんなに自分が嫌いでも変わりたくても、変えたい生活があっても、忘れてはいけないし昔のように過ごしたくなる時間がある。

それが昔の私の日常にあったそうやってまったりする時間で、それは休息と呼べるもので。

誰にだって休息は必要なのだ。

ちゃんと心から笑えるように休んだら、またいっぱい外に飛び出せばいい。

そしたらまた次の日からよく食べてよく飲んでよく笑おう。

 


今日までの私、お疲れ様、お休みなさい。

 

 

 

まあお酒に溺れすぎるのも良くないけどね