コンプレックスも舞台に上げてしまえば笑いになる

人はコンプレックスかプライド、どちらかの塊なのかもしれないと思うことが増えた。


それならば自分はコンプレックスの塊だろう。色んなものを消化できずに、私まだずっとそう思って生きている。

 


小学生の頃の私は、俗に言うガリ勉のいじめられっ子ではあったがそれなりに活発で成績も悪くなかっただろうし、勉強や習い事や趣味などの楽しみも持っていて、ちょっと変わった大人しい女の子だったと思う。先生方からは目を掛けられていたし、周囲の大人からは無欲な良い子と言われていた。時折泣き腫らした目で登校してきたり、どこかしら傷だらけなのに目を瞑れば。

しかし高学年になった途端それは逆転した。

小学5年生の頃の担任教師には、何もしていないのに学級会で「お前にはプライドがない!」と急に突き飛ばされたし、6年生の頃の担任には放課後突然寒空の下へ呼び出され「いじめではなくお前に協調生がないだけだ」と長々人間性についてお説教されたこともある。


どうせ成績が良いだけで、人よりちょっと話すのが下手くそなだけでいじめられてしまうのなら、大人しく図書館の本だけを友とし、中学受験のこと以外は考えずに真面目に過ごしていたのに、何故急にそんなことを言われなきゃらないのだ。

お前に何がわかる。それでも人の親なのか。などと私は小学生ながらに心の中で叫び、教師や大人というものにショックを覚えた。


それからの私は勉強にも身が入らず志望校にも落ち、身体中に切り傷を増やし「メンヘラ」と分類される女になり、加えて腐女子のオタクで厨二病も全開で、目を当てるのも痛々しいクソガキな中学生へ成長していった。

幸い中学の頃は入学後すぐ学級会長という役職にも就いたし、流石私立ということもあり「同じにおい」のする子も少なくなく、部活や趣味を通じてそれなりに友人もできた。自身がセクシュアルマイノリティやメンヘラだという自覚や、身体の傷を増やし続け、ODを覚え、摂食障害になり、心身共にボロボロになったことさえも全てひっくるめて今では思い出(黒歴史)である。

 

 

 


コンプレックスを舞台に上げればそれはロックになる

 

 

 

なんて昔耳にした名言。

意識をしていたかどうかはわからないが、高校生から私は急激に変わっていったと思う。


具体的に言うと明るくなっただろう。

高校を中退してからはフリーターではあったが同級生より一足早く社会へ足を踏み入れた。

学生バイトでもそうであったが、もっと広く誰も知り合いのいない環境だと気楽でもあったし、変わらなきゃという焦りも辛かった。少しずつ社会というものに適応しようと必死だったのだ。

 


しかしどこへ行ってもどれだけ隠してもいつかはどこかで訊かれるのだ。訊く奴がいるのだ。

「その傷跡どうしたの?」

まあ今時よくいるが、それでも少し酷い傷跡だったしこれは自業自得、一生付き纏うもの。

最初の頃は何て返したらいいのかわからないしコミュ障全開だったのを今でも覚えてる。あれは高校1年生の時のバイト先だったなあ。

 


もう何年腕や脚を切っていないかなんて知らんが、今では通信関係の営業マンでキャバ嬢だ。喋れないでどうする。

人と話す時、私の過去は、黒歴史は、全てネタとなる。ブラックジョークとも言えるが、笑い話なのだ。

それは私の中で笑い話としてもう片付けたからである。いや正直全然笑えないし、毎日泣きたいし頭の中では何回だって身体にナイフ刺してるよ。本当に笑えてたら夜な夜なこんなポエムは書かないだろう。

 


でも、私にとっては全て舞台に上げて笑い話にするしかないのだ。そうでなければ、私自身が笑顔でいられないから。

小学生の頃の私は笑わない子だったというか、笑えない子だった。それには勿論事情もあったが。

でも今はよく笑うしよく喋る方だと思う。加えてよく食べるしよく飲む。

いつも笑っていると人が寄ってくる。辛い時でも笑って話していると、気付いてくれる人はいるし支えてくれる人はいる。

 


私にそれを教えてくれたのは社会に足を踏み出した時の先輩や友達だ。

夜の世界に入ってからは、日中の仕事以上に辛い過去を背負って毎日笑っている先輩に沢山出会った。

私はそんな先輩方や友達から笑顔や愛情、色んなものをいっぱい貰っている。

だから私は笑っていられるし、どんな過去もコンプレックスも笑い話にしようと思える。

 

 

人生が舞台だとするなら、舞台の上では笑顔でいなければならないのだ。私の人生は私が主役なのだから。

子供の頃の暗い過去が練習やリハーサルで、大人としての今からが本番だとするなら、私の人生は今からだ。だって私は若い。

あの頃のどんなに嫌いな大人より、先輩方より若いのだ。

でもまだ私はコンプレックスの塊でしかいられない。

それも舞台に上がれば、私というコンプレックスそのものが笑いだ。

 

 

 

 

 

 

コンプレックスも舞台に上げてしまえば笑いに変わる

 

 

 


舞台にも休憩は必要だけどね。